DIY木工!奥が深い!だから楽しい!!

初めに、「楽しさ」の原動力は、他者とのかかわりが深く関係しています。自己と他者を繋ぐものが私の場合、「木工」。だから、楽しいに結びついていると考えています。

今日は、DIY木工の楽しさについて私の独断と偏見で書いています。

そもそも、私が木工を始めたのが13年前、職場の控室に設置する家具を作ることがあり、そこで初めて一般的な家具の作り方や材料について教えてもらったのがきっかけです。

木工の奥の深さは、経験を積み出来ることが増えるにつれて、さらに上の加工、そのまた上の難しい加工とキリがない事です。

箱一つとっても組み立て方は、いろいろです。

こうしたDIYや木工をあまりやらない方に玩具箱を製作してくださいと頼めば、恐らく寸法通りに木材を切断した後、釘と金槌で組み立てるんじゃないでしょうか。

普通はそうだと私も思います。

ですが、今ならそうは組み立てしないです。

その箱が、どのようなことに使用されるかという事も関係します。

玩具箱は、子供が使用する物なので、確実に私は釘を使用しません。

その代わりに、接合方法をボンドと木組みで箱を製作します。木組みは、先人の知恵です。

子供が使用する物は、常に起こりうる最悪を考えて製作します。

子供は、おもちゃ箱を投げたり落としたりしますよね。

壊れた際、釘を使用していると怖いですよね。

そんな、使う人の事を考えてモノづくりをすると、結構良い物が出来たりします。

結局、楽しさの原動力になっているのは、他者とのかかわりが深く関係していると最近よく思います。

ですが、私は、もともと木工を始めたのは、誰かに喜んでもらいたいといったことで始めたわけではありません。

子供のころから、工作が好きで自分が、「こうしたい」や「こう変えたい」といったことを、物を作ることで自己の欲求を満たすといった具合でした。

中心に居たのは、「自分」に他ならなかったわけです。

それが、結婚をし子供ができ、その子供が小学校に入学し、そんな、成長する過程を見ながら、学習机や本棚・筆箱・洋服ダンス・おもちゃ箱などを製作してきました。

初めは、「自分」が中心だったものが家族が出来たことによって、自分以外の誰か、私の場合は、「子供」に自分の好きな事で何かしてあげたい。

「子供の普段の生活にぴったりと合う勉強机や本棚を作ってあげたい」そんな気持ちが大きくなり製作に熱が入り始めました。

自分が製作した物を使用するのは、「子供」になったことによって、製作する物の形や造りも変わってきました。

角は常に丸くします。物によっては、釘や木ねじは使用しません。塗料は、天然由来の荏油や亜麻仁油・蜜蠟ワックス以外は基本使用しませんといった具合です。

先ほど、楽しさの原動力は、他者とのかかわりと書きましたが、私の場合、「自分」のためといった理由や動機では、ここまで木工に嵌らなかったと思います。

自分の能力を誰かのために使う、「自分のため」ただそれだけに使うのではなく、周りの誰かのために使う。

それによって、自分に他者から反応が返ってくる。当然、負の反応ではなく正の反応。

そうして、それが自分の中でも喜びに変わり、「何かしよう!」という原動力になる。

最近、自分の中にある意欲や行動力は、そんな周りとのかかわりの中で育まれているんだと強く思います。

一見、誰もが自分の幸せの為に行動し生活していると思いがちですが、「自分のため」それだけでありとあらゆる物事にポテンシャルを生涯維持し続けていくことは、私自身はできないと今は考えています。

自分の為という動機だけでは、弱いんです。自分は、妥協もできれば我慢もできる。でも、他者は、自分ではないから我慢しろとも妥協しろとも言えないしそうしなさいと強制もできない。だからこそ、その誰かのために何かする、相手の事を考えて自然と「ありがとう」と言ってもらえるようなことをする。

それって、簡単なようで奥が深い事だと私は考えています。だからこそ、誰かのために行う「木工」は奥が深いと考えています。技術的な事だけじゃなく、誰かの使いやすいの為にといった具合に、当然、造りや形も工夫が必要になりますよね。答えは、無数にあるわけです。1+1=2ではないんです。決まった答えなんかない。

これが正解と納得できればそれが正解だし、そうでないと思えばそれは間違いなわけです。

そうしたことも奥の深さの一因だと考えています。

だから、楽しいんです。他者とのやり取りと正解がない無限の世界、進むべき方向も自由な空間。

あまり堅苦しく考えずに今の自分ができることで何かを作ってみてください。考えるより前に手を動かしてみてください。意外と楽しい世界がそこに広がっているかもしれませんよ。

さあ!あなたも何かを作ることで自己表現してみませんか?作ったものの出来不出来なんか気にしなくても大丈夫!そこに込めた思いが、きちんと相手に届きます。あなたが、その人のことを思い考えて作ったものなら。

気の向くままにつらつらと書き連ねましたが、私が考える「木工」の奥の深さは、「他者とのかかわり」と「自己の他者への思いの表現ツ-ル」「常に、これが正解という答えなんかない」そんな世界だからこそ、奥が深く興味深く楽しいのだと考えています。

皆さんは、どう思いますか?