DIY木工!あなたは、どうしてそれを作るの?

こんばんは。「あなたは、どうしてそれを作るの?」

もし、あなたが今何かを製作していて、その製作風景を見た誰かにそう聞かれたら何て答えますか?

「木工が好きだから製作している」「物作りに興味が有って・・・」簡潔に「趣味です。」そんな在り来たりな答えを私もしてしまいそうです。

実際に冒頭の様に聞かれたら、多分私は、当たり障りなく「木工が好きだから、何か自分の学んだもので作れるものを製作しています。今回は、たまたまコレだっただけですね。」

ってその場は答えるんだろうなって今思いました。

けど、皆さんそんな理由だけで製作しているわけではないですよね。

私は、木工が仕事ではありません。つまり本業は、別にあります。

本業でもない事になぜ没頭できるのか。

「それは、本業じゃないからできるんだよ」そんな声も聞こえてきそうですが、人間何かに没頭するとき、そこには多分「自己と他者」の存在があるような気がします。

ただ単に作りたいから作っているそんな簡単な思考ではないと考えています。

確かに、始めたばかりというのは、やってみたいという挑戦やただ単純に楽しい、そんな理由で続けることができるのかもしれませんが、何十年も同じことを繰り返し繰り返し行うのは、ただ単に好きや楽しいだけではないそんな気がしませんか。

最近、いろいろある趣味の中で私はなぜ、木工だったんだろうと考えることがあります。

何だと思いますか?

木工は、自己が望めばいくらでも高みを目指せることであり、それを極める為に鍛錬を積む行為に他者の思いは関係ない。また、他者に進むべき方向を決められるのではなく、むしろ、自分の思う方向へ自分自身の意思で突き進まなければならないことだったからというのが、今の自分が木工をしている理由の一つです。要するに、中心理念は常に自己に向かい他者が介在しない趣味だったということです。

ですが、製作という行為の先に出来上がる物に対しては、他者を思い使う人の便利や普段の生活習慣を考えたものでなくてはいけないと考えますが、作風や理念は、自己の表現の場として他者の考えではなく自己の考えや思いを表現できるそんな世界が、私にとって木工だったという事です。

私は、正直他者と積極的に関りを持つことに喜びを感じるタイプではありません。ですが、完全に他者をシャットアウトするといった考えでもありません。常に、自己と他者の間に一定の距離を保ちつつ、時にはかかわり、またある時は、また一定の距離を保つ。他者とはそんな距離感で居たいと考える性格です。

常に、誰かと一緒に居なければならない。そうでないと自分が空中に一人放り出されたようで不安だ。そんな風には考えない性分です。

普段は、むしろ一人が好きです。一人で完結できるから、木工も好きなのかもしれません。

こんな性格だからこそ、「なぜそれを作るの?」って聞かれた本当の答えは、「私自身の考えやそのものに込めた思いは、言葉では説明し難いが、出来上がった物の造りや形を通して私自身が考える他者への思いを表現する手段が木工なんです。」というのが、本当の答えかもしれません。今は、そんな風に考えています。

物を作る技術や技法は、常に自己の心の内に向かい、その反対に、出来上がる製品や作品は、他者の喜ぶ顔や他者を思う真心へ向かうそうして他者とのかかわりの中で喜びを見出しそれが、「作るであり造るであり創るになる」だから今日も何かをつくる準備をしているんです。

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